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日奈久温泉と山頭火

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日奈久温泉と山頭火

 santoka-S  種田山頭火(たねださんとうか) 1882~1940(明治15年~昭和15年)俳人。山口県防府生まれ。本名は正一。「山頭火」の号は教師の萩原井泉水にならって運勢判断の  「納音」(なっちん)によったものである。自由律の俳句誌《層雲》で活躍した。
妻子を捨て、世間を捨て、行乞の人生を送り、自然と一体になり、自己にいつわらず、自由に一筋の道を詠いつづけた彼は、生涯約八万四千句を詠みすてた。
放浪の俳人種田山頭火は、昭和5年9月10日から熊本県八代市の日奈久(ひなぐ)温泉、織屋に3泊し、その日記に『温泉はよい、ほんたうによい、ここは山もよし海もよし、出来ることなら滞在したいのだが、――― いや一生動きたくないのだが、』と称賛し、『此宿は、夫婦揃って好人物で一泊四十銭では勿体ないほどである』と記している
なお、織屋旅館は山頭火が宿泊した全国の旅館の中で現存する唯一の建物です
  昭和五年
日記抄より
九月九日 晴れ、八代町、萩原塘、吾妻屋(三五・中)
私はまた旅に出た、愚かな旅人として放浪するより外に私の生き方は無いのだ。七時の汽車で宇土へ、宿においてあった荷物を受け取って、九時の汽車で更に八代へ、宿を決めてから十一時より三時まで市街行乞、夜は餞別のゲルトを飲みつくした。同宿四人、無駄話がとりどりに面白かった、殊に宇部の乞食爺さんの話、球磨の百万長者の欲深い話などは興味深いものであった。九月十日 晴れ、二百廿日、行程三里、日奈久温泉、織屋(四十・上)
午前中八代町行乞、午後は重い足を引きずって日奈久へ、いつぞや宇土で同宿したお遍路山夫婦と また一緒になった。方々の友へ久振りに―― ほんたうに久振りに―― 音信する、その中に、――……私は所詮、乞食坊主以外の何物でもないことを再発見して、また旅に出ました、……歩けるだけ歩きます、行けるところまで行きます。温泉はよい、ほんたうによい、ここは山もよし海もよし、出来ることなら滞在したいのだが、――― いや一生動きたくないのだが、九月十一日 晴れ、滞在
午前中行乞、午後は休養、此宿は、夫婦揃って好人物で一泊四十銭では勿体ないほどである。九月十二日 晴れ、休養
入浴、雑談、横臥、漫読、夜は同宿の若い人と共に活動見物、あんまりいろいろの事が考え出されるから。九月十三日 曇、時雨、佐敷町、川端屋(四十・上)
八時出発、二見まで歩く、一里ばかり、九時の汽車で佐敷へ、三時間行乞、やっと食べて泊まるだけ頂いた。此宿もよい、爺さん婆さん息子さんみんな親切だった。夜は早く寝る、脚気が悪くて何をする元気もない。

九月は日奈久で山頭火

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